teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


こんにちは

 投稿者:小籠包  投稿日:2018年10月18日(木)09時03分56秒
  今一つ天候がパッとしないこの頃ですが、皆様お元気でいらっしゃいますか?
10月のモモも仕事でいけません。とっても残念です(;_;)

『砂の妖精』を最初に読んだのは、たぶん中学生のころでした。文庫本を買ってずっと持っていたのですが、今回読もうとしたら見当たらず、結局図書館で借りることに(^^;)
当時は子供だったのですんなり物語に入りました。今回もあらすじは知っていたので違和感はなく。ただ、大人になって読むと、ドラえもんそのものですね。子供のころは気づきませんでした。魔法を使うと何か困った結果になってしまう。ネットで見るといろんな方が同じことを。やっぱり世の中、ずるいことをしてうまくいくわけがないってことでしょうか。
今回、続編の『火の鳥と魔法のじゅうたん』もついでに読んでみました。前作と違い舞台はロンドン。使用人の登場回数が増えて、階級意識が鼻につきました。この一家は中産階級で、あまり裕福ではないと思います。『砂の妖精』の冒頭は、お母さんの視点ではちっともきれいでなく不便な家への到着でした。だのに料理番や子守がいて、子供たちが彼らに高飛車なんです。時代の意識とはいえ、気持ちよくは読めませんでした。とはいえこちらも子供たちの冒険は生き生きとして、読者を楽しませよう、笑ってもらおうという気持ちが伝わってきました。

『砂の妖精』の最初のほうに、「都会の子供たちが怒りっぽくとてもいうことを聞かなくなるのはこのためなんですよ―――――――――」というくだりがあります。この時代にすでにこういうことを言う人がいたのに、なぜ世界は逆のほうに進んでしまったのでしょう。20世紀初頭のロンドンがそうなら、今の日本の街なんて言葉にもできません。

『砂の妖精』は日本でアニメ化されましたね。「おねがい!サミアどん」というタイトルでした。私はすでに大人だったので見なかったけど、評判は良かったそうです。ただ、ネーミングにちょっと驚きでした。日本の田舎の妖怪に化けちゃった感じで。そもそも妖精っていうのも中学生のころから違和感が。妖精のイメージはティンカー・ベルを筆頭に、羽があってふわふわ、きらきら…って思ってたのが、毛むくじゃらで偏屈で。「楽しいムーミン一家」に登場する「ありじごく」にそっくりだと思ってました。機会があったら比べてみてください(*^_^*)
 
 

次回テーマ本

 投稿者:きなこ  投稿日:2018年 9月27日(木)17時36分19秒
  こんにちは。8月の異常な暑さを乗り越え秋に突入ですね。もう涼しいというより寒いかも?みたいな日も度々あり、朝の支度の時に一旦ベランダに出て今日の服装で大丈夫だろうか?と確認をしてから出ています。

今回の参加者は4名とかなり少なく、だからなのか、いつものことなのか脱線しまくりでした。YOHさんも書いていた「銀のスケート」は、読んでいて「おぉ!こんなところに??」と思わず声を出してしまったり。
ニューヨークでお巡りさんが馬に乗ってるの?という時代の変化の驚きもあり、楽しいことが最初から最後まで続いてそのまま終わるというのに安心しました。
あと挿絵の魅力も大きくて、文章自体も部屋の内装だとか置いてある物一つひとつ、イメージし易いですね。
お母さんのことについては、本当にサラッとしていて、それはあえてそうしているのかな…
4冊シリーズの1冊目しか翻訳されてないなんて、どうにかならないの!とも思ってしまいます。自力で頑張るしかないのでしょうか…

さて、次回のモモは10月23日
「砂の妖精」イーディス・ネズビット著 石井桃子訳です。
福音館であったり、他にも出版あるようです。
因みに推薦したK村さんは「物語に入れる人と入らない人と分かれると思う」と仰っていました。果たして自分はどちらになるのか!
来月お楽しみに~
みなさん、お元気でお過ごしください。
 

土曜日はお楽しみ

 投稿者:YOH  投稿日:2018年 9月24日(月)01時52分58秒
  『土曜日はお楽しみ』の感想です。

モナが美容院で根掘り葉掘り質問されるの読んでて、美容院って古今東西昔から似たような体質なんだなと思いました。
私が常日頃感じている『刑事の聞き込みはご近所さんよりも、近所の美容院に聞けばあらゆる情報を聞ける』という感覚はあながち間違いでもない。

それと、つい反応してしまったのはオリファント夫人の灯台のサンルームにあった本の中にドッジの『銀のスケート』があった事です。

兄弟の楽しい子ども時代の生活を描いた児童書といえば、私にとってはリンドグレーンの『やかまし村の子どもたち』なんですが、メレンディ家のモナ、ラッシュ、ランディ、オリバーは都会の子どもたちだから、そのワクワクハラハラの冒険も都会が舞台というのがまた新鮮でした。

オリファント夫人と出会ったランディが高級ホテルの中の素敵なお店で美味しいスイーツをご馳走してもらいながら、夫人の子ども時代の誘拐事件の話を聞かせてもらったり、音楽家のラッシュがオペラ劇場で楽しんだり、モナがまるでローマの休日のオードリー・ヘプバーンのように髪を切ってパーマをかけたりマニュキアを塗って大変身したり、小さなオリバーがたった一人でサーカスに行って、サーカスを楽しみながら綿あめとホットドッグとソーダ水とピーナツを食べた挙句におなかが痛くなって迷子になって、おまわりさんに馬に乗せてもらって帰るとか、起こる出来事も都会的ですね。

よくわからないのは、最後に立て続けに石炭ガスの事故と火事が起こったわりには、カフィの洋裁用の人台が燃えちゃっても、火事の原因を作ったランディに「気にしなくて良いんですよ」と、すっかり太って役に立たなくなった人台だから燃えてスッキリしたみたいな事を言って慰めて終わっちゃうので、あえてこのエピソード要るのかしら?
結構大変な事件だったわりには、子どもたちの不注意エピソードでサラッと流れた感じがしたので…
というのも「火事だ!」のタイトルを見て、私の頭に浮かんだのは長くつ下のピッピが火事の中から子どもを救出するシーンで、まさかピッピのような超人的な活躍は期待しなかったけど、兄弟の連携プレーで誰かを助けるのかなぁなんて勝手に期待し過ぎていたのでした。

ところで、松(^O^)さんに教えていただいた長くつ下のピッピ展にギリギリ今日なら行けるかも!と、夫とお墓まいりをした帰りに八王子を回ろうとしたんですが、今日は家を出てからず~っとどこをどう回っても大渋滞で、当初の計画では14時過ぎにはピッピ展に着けるはずだったのに、受付終了時間の16:30にも間に合いそうにないことがわかり、途中で諦めました。
どなたか行かれた方がいらしたら感想を是非お聞かせくださいね。
 

(無題)

 投稿者:小籠包  投稿日:2018年 9月23日(日)08時09分59秒
  こんにちは。私も次のモモお休みします。というか、10月も11月も無理そうです(;_;)
「土曜日はお楽しみ」、読んだのがだいぶ前で記憶が薄れちゃっているのですが…でも楽しいお話でしたね。子供が子供でいられる世界でした。ニューヨークの街も、当時は大都会だったのでしょうが、今の視点で見るとのどかな都会で、子供たちが冒険をする余地があったというか。
子供のころ読んだ外国の児童書には、4~5人の兄弟が主人公のものがたくさんあった気がします。ネズビットとか。当時、大勢の兄弟にあこがれたものでした。この物語は20世紀が舞台だけど、雰囲気は同じですね。同時代の日本が戦争一色で子供たちもこんなのどかな生活を送れていなかったことを考えると、複雑なものを感じます。今の日本社会も決してのどかじゃない。子供たちの生活を見ていると窮屈さを感じます。時間にも空間にもこのようなゆとりがあればいいのに、と思います。
 

25日

 投稿者:松(⌒▽⌒)  投稿日:2018年 9月11日(火)21時38分3秒
  お休みさせていただきますm(__)m

連絡忘れないように早めにお知らせしますね
 

開催中

 投稿者:松(^○^)  投稿日:2018年 8月29日(水)22時29分14秒
  http://www.fujibi.or.jp/assets/tfam/files/pdf_exhibit/3201807281_1.pdf
ご存知かもと思いますが、ピッピ展やっているみたいです。
 

(無題)

 投稿者:小籠包  投稿日:2018年 7月29日(日)20時34分46秒
  YOHさん、いつもしっかりした書き込みありがとうございます。なんだか集まっても横道にそれてばかりの私たち、申し訳ない気がします。
今回はまた、重い文章ですねえ…ルカク選手に限らず、サッカー選手、特に有色人種の選手は、貧しい生い立ちだったりする話を時々聞きます。また、人種差別の話も残念ながら、サッカー界ではよく聞く話です。ヨーロッパではアフリカ系の選手もかなり多く活躍していて、彼らに対してスタンドからヤジが飛んだりバナナが飛んだり。日本でも某チームのサポーターが「日本人だけ」という横断幕を飾って、入場禁止になったことがありました。

ルカクは体が大きく足が速く、ただでさえ迫力のある選手です。そのうえメンタルもこんなに強いとなると、負けたとはいえ、よく日本は互角に戦えたな、と正直思います。


ところで、8月のモモはお休みです。9月はエンライトの続きで、「土曜日はお楽しみ」です。
 

ちょっと読んで欲しい一編

 投稿者:YOH  投稿日:2018年 7月29日(日)10時18分39秒
編集済
  サッカーに詳しくはないのですが、マンチェスター・ユナイテッドのルカク選手のインタビュー記事で語られる少年期からの生き様が一編の壮絶なノンフィクション小説を読んでいるようだったので下記にあげておきますね。
長いですが一気に読めます。
『ずっと言いたかったことがある』

-------------
ワールドカップで日本とも対戦したベルギー代表の躍進を支え、
プレミアリーグファンのみならず世界中のサッカーファンに名を轟かせた
マンチェスター・ユナイテッドFWロメル・ルカク。

強さと速さを兼ね備える圧倒的なフィジカルと両足でも頭でも決められる得点能力から、
現在では世界最高のストライカーの1人にも挙げられる彼本人が
6月に公開されたThe Players’ Tribuneで綴っていたのは想像を絶する過去だった。
本稿ではそちらの全訳を掲載する。


『ずっと言いたかったことがある』

僕たちがイカれていることが分かった瞬間を今でも覚えている。冷蔵庫の前にいる母さんの顔をじーっと見つめている僕を今でも思い描くことができる。

当時6歳だった僕は、学校の昼休みに昼食をとるために家へ帰っていた。母さんは毎日同じメニュー、パンと牛乳を用意していた。子供の頃はそんなこと考えないだろうけど、僕はそうやってやりくりしていたことを知っていたんだ。

その日家に帰って台所へ向かった僕が目撃したのは、冷蔵庫の前で牛乳パックを持っている母さんだった。

いつものようだった。

でも、このとき母さんは何かをそこに混ぜていて、それを振っていたんだ。

想像できるかい?

僕には何が起こっているのか分からなかった。そうして昼食を運んできた母さんは、何もかも上手くいっているかのように微笑んでいた。

でも、僕はすぐに何が起こっていたのかを悟ったんだ。



母さんは牛乳に水を混ぜていた。


僕たちにはその1週間それを買えるだけのお金がなかったんだ。僕たちはイカれていた。貧しいだけじゃなくて、イカれていたんだ。

父はプロのフットボーラーだったけどキャリアの終盤に差し掛かっていて、お金は底を尽きていた。最初になくなったのはケーブルテレビだった。

フットボールなし。

マッチ・オブ・ザ・デイなし。

信号なし。

夜に帰宅すると、電気が止められていた 。当時は2、3週間電気が使えなかった。

お風呂に入ろうとすると、お湯が出なかった。母さんがストーブの上のやかんでお湯を沸かして、シャワーの前に立っている僕にコップで頭の上からお湯をかけてくれた。

通りにあるパン屋から母がパンを「借りて」いたのは1度どころではなかった。僕と弟のことを知っていたそのパン屋は、月曜日にひとかたまりのパンを母さんに持たせて金曜日に支払いをさせてくれていたんだ。

僕たちがもがき苦しんでいることは知っていた。でも、母が牛乳に水を混ぜていたのを目撃して、一線を画していることを悟ったんだ。何が言いたいか分かるかい?これが僕たちの人生だったんだ。

言葉が出なかった。母さんのストレスにはなりたくなかった。昼食をとってから神に誓った。その日自分自身に誓いを立てたんだ。まるで誰かが指をパチンと鳴らして、僕の目を覚ましたかのように。何をしなくてはいけないか、これから何をしていくかが手に取るように分かっていた。

もう母親がそんな生活をしているところを見たくはなかった。

いやだ、いやだ、いやだ。

もううんざりだ。

フットボール界の人々はメンタルの強さについて語るのが大好物だ。まあ、僕以上に強い奴なんていないだろうけど。兄弟と母と暗闇の中で座りながら、祈りを捧げて、考えて、信じて、知ってしまった…なんとかしなくては。

しばらくその誓いを心の中にしまっていた。でもある日のこと、学校から家に帰ると母が泣いていた。だからその日、ついに母に告げたんだ。

「母さん、変えてみせる。僕はアンデルレヒトでフットボールをプレーする。すぐに叶うよ。僕たちは皆助かる。だからもう心配しないで」

6歳のときだった。

僕は父に尋ねた。
「何歳になったらプロのフットボールをプレーできるの?」

父は言った。
「16歳だよ」

僕は言った。
「分かった。16歳になればいいんだね」

なんとかする。終止符を打つんだ。

いいことを教えてあげよう。

プレーした1つ1つの試合全てが決戦だった。

公園でプレーしたときも決戦だった。

幼稚園の休み時間にプレーしたときも決戦だった。

マジで本気だった。

シュートを撃つときはいつもボールの皮を剥ぐ勢いだった。

全力だった。僕たちはR1ボタンなんて押していなかったんだ。高精度シュートなんてなかった。僕は最新のFIFAなんて持っていなかった。プレイステーションなんてなかった。遊びなんかじゃなかった。相手を殺す勢いだった。

背が伸び始めると、一部の教師や保護者がストレスになった。初めて保護者の1人に「ボク何歳?何年生まれ?」と聞かれたのを忘れたことはない。

僕は思った。何だって?正気か?

11 歳のときにリールセのユースチームでプレーしていると、他のチームの保護者が文字通りピッチに入るのを止めようとしてきた。

「このガキは何歳だ? 身分証明書はどこだ?どこから来た?」

僕は思った。

どこから来たかって?

何を言ってるんだ?僕はアントワープで生まれたんだ。

君たちと同じベルギーに決まってるだろ。

父さんはそこにいなかった。アウェイの試合に駆けつけられる車がなかったからだ。僕は完全に独りぼっちで、自分のために立ち上がらなくてはいけなかった。鞄にあるIDを取り出して保護者全員に見せつけてやると、奴らはそれを手に取り合って食い入るように調べていたから、全身の血が逆流したのを覚えている…僕は思った。

「おい、今すぐにでもお前の息子を殺してやろうか。殺しにいくどころか、 ぶっ壊してやる。泣きながら坊やを家に避難させることになるぞ 」

ベルギー史上最高のフットボーラーになりたい。
それが僕の目標だ。良いでもない。偉大でもない。最高だ。僕はそんな大きな怒りと共にプレーしていた。
色んなことのせいで…うちのアパートを駆け回るネズミのせいで…チャンピオンズリーグを観れなかったせいで…他の保護者がああやって僕を見たせいで。

僕にはミッションがあった。

12歳には、34試合で76点決めた。

父さんのスパイクを履いてそれら全ての得点を決めた。一時期僕たちの足は同じサイズだったから、共有していたんだ。

ある日僕は祖父、母の父親に電話をかけた。彼は僕の人生の中で最も大切な人の1人で、母さんと父さんの出身地であるコンゴとの繋がりそのものだった。ある日彼と電話をして言った。

「うん。本当に上手くいってるよ。76ゴールを決めて、リーグで優勝した。ビッグチームにも僕の名が知れ渡り始めてる 」

普段であれば、彼はいつも僕のフットボールについて聞きたがる。でもこのときは何かがおかしかった。彼は言った。

「そうかい、ロム。そうか、凄いじゃないか。なあ、ちょっとお願いしてもいいか?」

僕は言った。「いいよ。何?」

彼は言った。「娘の面倒を見てやってくれないか?頼む」

とても困惑したことを覚えている。おじいちゃんは何を言ってるんだ?って。

僕は答えた。「母さん?うん。僕たちは元気だよ。皆大丈夫さ」

彼は答えた。「いや、誓ってくれ。私に約束してくれないか?娘のことを頼む。私のために彼女の面倒を見てやってくれ。いいか?」

僕は答えた。「うん。おじいちゃん。分かったよ。約束する」

5日後に彼はこの世を去った。そのとき彼の本当に言いたかったことを理解した。

そのことを考えると、とても悲しくなった。彼がもう4年生きていればと思わずにいられないのは、僕がアンデルレヒトでプレーしている姿を見れたからだ。僕が約束を守る姿も見れた。ほら言っただろ?全部上手く行っているところも見れた。

16歳になったらそれを果たせると母さんに告げた。

11日の遅刻だった。

2009年3月24日。

プレーオフ決勝。アンデルレヒト対スタンダール・リエージュ。

それは人生で最高の1日だった。でも少し時間を巻き戻さなくてはいけない。そのシーズン当初、辛うじてアンデルレヒトのU19でプレーしていたからだ。監督は僕をベンチに下げた。僕は思った。

「まだU19のベンチだっていうのに、一体どうやって16歳の誕生日にプロ契約を結ぶというんだ?」

そこで監督との賭けに出た。

彼に言った。

「約束します。僕を出場させてくれれば12月までに25点決めますよ」

彼は鼻で笑った。文字通り僕を鼻で笑ったんだ。

僕は言った。

「さあ賭けて下さい」

「いいだろう。でも12月までに25点決めなかったら、お前はベンチ送りだ」

「構いません。では僕が勝ったら、選手の送迎車全部磨いて下さいね」

「いいだろう。交渉成立だ」

「もう1つあります。毎日僕たちにパンケーキを作って下さい」

「やってやろうじゃないか」

それはその男がした賭けの中で最も空いた口が塞がらない賭けだっただろう 。

11月には25点を決めていた。クリスマス前にはパンケーキを食べていたんだ。

それは教訓になったことだろう。飢えた少年で遊んではいけないんだ。

誕生日の5月13日に僕はアンデルレヒトとプロ契約を結んだ。真っ先に買ったのは最新のFIFAとケーブルテレビのパッケージだった。

既にシーズン終盤に差し掛かっていたから僕は凍えながら家に帰ったけど、その年のベルギーリーグは荒れていた。アンデルレヒトとスタンダール・リエージュが勝ち点を並べて終えたからだ。だからタイトルを決めるホーム&アウェイのプレーオフが行われた。

ファーストレグではファンのように家のテレビの前にいた。

セカンドレグの前日にリザーブチームの監督から電話があった。

「もしもし?」

「もしもし、ロム。今いいか?」

「公園でフットボールをしようと出かけるところですけど…」

「待て、待て、待て、待て、待て。荷物を詰めろ。今すぐにだ」

「何ですって? 何かしましたっけ?」

「違う、違う、違う。今すぐスタジアムに行くんだ。今ファーストチームが君を求めてる」

「え…マジですか?僕を?」

「そうだ。君をだ。急いでくれ」

父さんの部屋まで文字通り全力で走って、言った。

「父さん!今すぐ仕度してくれ!早く行かなきゃ!」

「は?何だって?どこに行くんだ?」

「アンデルレヒトに決まってるだろ」

忘れることはないだろう。スタジアムに着いた僕が真っ先にロッカールームへと向かうと、用具係は言った。「よう少年。どの背番号がいいんだ?」

僕は言った。「10番をよこせ」

笑っちゃうよね!

たぶん、怖いものを知るには若すぎたんだと思う。

「下部組織の選手が着けられるのは30以上の番号なんだけど」

「そうなのか。うーん。3+6=9、いい番号だ。じゃあ36番を下さい」

その夜のホテルで、夕食のときに先輩の選手たちがからかって僕に歌を歌わせた。どの曲を選んだのかも覚えていない。僕の頭の中はこんがらがっていた 。

翌朝にフットボールをプレーしたがっているだろうと友達が僕の家のドアを文字通り叩いたけど、

母さんはこう言った。

「プレーするからいないわよ」

友達は言った。

「プレーするって、どこで?」

母さんは言った。

「決勝よ」

皆スタジアムでバスを降りて、中へ入っていく1人1人の選手がイカしたスーツを着ていた。僕1人を除いて。クソみたいなジャージ着ている僕がバスから降りると、全てのテレビカメラが僕の顔へと向けられた。ロッカールームまで約300m歩いた。たぶん徒歩で3分だった。ロッカールームに着くとすぐに、僕の携帯電話がはちきれんばかりに鳴り始めた。皆テレビで僕の顔を見たからだ。3分で25通ものメッセージを受け取った。友達は狂喜乱舞していた。

「おい、何でお前が試合に?」

「ロム、どうなってる?何でお前がテレビに?」

僕が返信したのは親友だけだった。僕は言った。

「なあ、プレーすることになるかは分からない。どうなるかは分からないよ。でもテレビから目を離さないでくれ」

63分に監督が僕を途中出場させた。

16歳と11日で、僕はアンデルレヒトでそのピッチに駆け上がった。

その日決勝では敗れてしまったけど、僕はもう天にも昇る気持ちだった。母親と、おじいちゃんと交わした約束を果たしたんだ。僕たちはもう大丈夫だと分かった瞬間だった。

次のシーズン、僕は高校最後の学年を終えようとしながらも、ヨーロッパリーグでプレーしていた。学校に大きな鞄を持ち込んで、午後には飛行機に乗れるようにしていた。大差をつけてリーグを制覇したし、年間最優秀アフリカ人選手賞(エボニー・シュー)では2番目だった。

それはただただ…イカれていた。

それら全部本当に叶うとは思っていたけど、こんなに早く叶うなんてたぶん思っていなかった。突如メディアは僕を担ぎ上げ始めて、あらゆる期待を僕に押し付けてきた。特に代表チームで。

理由は何にせよ、ベルギー代表では上手くプレーできなかった。

機能しなかったんだ。

でも、考えてみてほしい。

僕は17歳だった!18歳だった!19歳だった!

上手くいっているときに新聞を読むと、彼らは僕のことをベルギー人のストライカー、ロメル・ルカクと呼んでいた。

上手くいっていないときは、彼らはコンゴ系ベルギー人のストライカー、ロメル・ルカクと呼んでいた。

もし僕のプレーが気に入らないなら、構わない。

でも僕はここで生まれたんだ。

育ったのもアントワープ、リエージュ、ブリュッセルだ。アンデルレヒトでプレーすることを夢見ていた。ヴィンセント・コンパニになることを夢見ていた。フランス語で始めてオランダ語で終えた文章に、近所で使われているスペイン語か、ポルトガル語か、リンガラ語を添えてやってもいい。

僕はベルギー人だ。

僕たちは皆ベルギー人だ。そうすりゃこの国もイカすだろ?

僕には理解できないのが、母国の一部の人々が僕の失敗しているところを見たがることだ。本当に理解できない 。僕がチェルシーに行ってプレーできなかったとき、僕への嘲笑を耳にした。ウェストブロムにレンタル移籍したときも、僕への嘲笑を耳にした。

まあいいんだ。シリアルに水がかかると、そういう人々は寄り添ってくれない。何もないというだけで僕に寄り添ってくれないということは、僕のことを本当に理解できていないということだ。

何がウケるかって?

子供の頃、僕は10年もチャンピオンズリーグのフットボールから離れていたんだ。そんな余裕はなかった。学校に行くとどの子供も決勝について話していたけど、僕には何があったのか見当もつかなかった。マドリーがレヴァークーゼンと対戦した2002年を思い返すと、皆言っていた。「あのボレーだよな!ヤバいよあのボレーは!」

彼らの話題には知ったかぶりをしていた。

その2週間後にコンピューターの授業を受けていると、友達の1人がインターネットからビデオをダウンロードしていて、ジダンがゴールの左隅に左足でそれを叩き込んでいる姿をようやく見れた。

その夏、彼の家に遊びに行った僕はワールドカップの決勝で怪物ロナウドを観た。その決勝トーナメント全てが、学校の子供たちから聞いた話の通りだった。

ウケる!2002年の僕のスパイクは穴だらけだった。それも大きな穴ばかり。

12年後、僕はワールドカップでプレーしていた。

今はもう1つのワールドカップでプレーするところだけど、どういうことか分かるかい?

今を楽しむことしか頭にないんだ。人生があっという間なのはストレスとドラマがあるからだ。僕たちチームや僕について皆好きに言えばいいさ。

なあ、聞いてくれよ。

僕たちが子供の頃はマッチ・オブ・ザ・デイでティエリ・アンリを観ることすらできなかったんだ!

今では代表チームで毎日彼から学んでいる。

気づいたときには、その伝説と並んで立っていて、彼がかつてやっていたようなスペースへの飛び込み方を手取り足取り教えてくれるんだ。

ティエリは僕よりフットボールを観ている世界で唯一の男だ。僕たちは何だって議論する。隣に座ってドイツ2部のフットボールについて議論するんだ。

僕は言った。

「ティエリ、フォルトゥナ・デュッセルドルフのスタメンは分からないだろ?」

彼は言った。

「馬鹿言うな。分かるに決まってるだろ」

僕にとって、これ以上イカすことは世界中のどこにもない。

本当に、本当におじいちゃんにはこの証人になって欲しかった。

プレミアリーグのことを言ってるんじゃない。

マンチェスター・ユナイテッドのことでもない。

チャンピオンズリーグのことでもない。

ワールドカップのことでもない。

そういうことじゃないんだ。僕がただ望むのは、今の僕たちにある生活を彼に見てもらうこと。もう1度彼に電話をかけられたら、彼に知らせることができるというのに…

「ほらね?言ったでしょ?あなたの娘は元気だよ。もうアパートにネズミが出ることもない。もう床で寝ることもない。もうストレスもない。今はもう皆大丈夫。大丈夫なんだ……」

「…もう奴らに身分証明書を確認されることもない。僕の名前を知ってるからね」

 

指ぬきの夏

 投稿者:YOH  投稿日:2018年 7月18日(水)21時47分35秒
  毎日とんでもなく暑い日が続いておりますが、皆様お元気でしょうか?
私は相変わらず元気にしております。
さて、今回も長くなってしまいましたが、この場をお借りして感想をあげさせていただきます。
それでは皆様どうかご自愛くださいませ。

指ぬきの夏
エリザベス・エンライト作/谷口由美子訳/岩波少年文庫

読み始めた時が、ものすごい暑さの日だったので、「シーツがからだにさわるだけでも暑くてたまりません」の状態が実感出来ましたが、それにしても43度の暑さって!
カレン・ヘスの『ふれ、ふれ、あめ!』とか『ビリージョーの大地』とか思い出してました。
でも、暑さで苦しむ話ばかりではありません。
生き生きと生活している少女ガーネットとその家族 父さん母さん、兄さんのジェイ、幼い弟のドナルド、温かく見守る大人たち。

親友シトロネーラのエイバーハートひいばあちゃんの子どもの頃のおはなしで、寒い日の夜になるとインディアンたちがひいばあちゃんの家で暖をとるために入ってきて、明け方に出て行くときには、あたたかい場所のお礼に鹿の肉とかウサギの肉や手作りのカゴ、ひきわりトウモロコシの袋、つま先にビーズの刺繍のあるモカシンぐつなどを置いていってくれた話は、大草原のちいさな家のキャロライン母さんの少女時代の話『ブルックフィールドの小さな家』にも、インディアンとの交流の場面があったなぁと思いました。

ひいばあちゃんの誕生日のブレスレット事件の時のお父さんの対応も良かったな。
『ファニーにはかわいそうなことをしたよ。わたしはもうなにも言わないことにしよう。ファニーは今日一日、ずっとつらい思いをしてきたんだろうから。』
そして実はこっそり買っておいてあげた誕生日プレゼントのブレスレットをおあずけにして、クリスマスに渡すというところまで含めて、優しさとほどよい厳しさと温かさを感じました。

少年エリック放浪の土地を地図で辿ってみたりもしました。
スウェーデン→ニューヨーク→オレゴン~ユタ~コロラド~キャンザス~ミズーリ~コロラド

いきなり「新しい家族」とエリックを紹介されてもびくともせず「お入りなさい。朝食はホットケーキよ。食べてるあいだに、いろいろ話を聞かせてね。」という母さんに「すてきな母さん。うちの家族ってすてき」とこういう家族のひとりでいることに安心してあったかい気持ちになるガーネット。
揺るぎない優しさで何事にも動じない母さんはムーミンママみたいだなと思いました。

もう一人の家族がいました。
隣の農場のフリーボディさん。
ガーネットが赤ちゃんの時から幾度となく親身になって心配し助けてきてくれたおじさんです。
ガーネットがカッとして家出をしたことにただ一人気づいて心配して待っていてくれて、誰も気づいていない家出のことを秘密にしてくれました。
実の親とは一歩離れたところで見守ってくれる頼りになる大人の存在って大きいですね。

ブタの品評会で思い出すのは『ペニーさんと動物家族』や『シャーロットのおくりもの』です。

『ペニーさん』のマリー・ホール・エッツ1895年ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ
『シャーロットのおくりもの』のE.B.ホワイト1899年ニューヨーク生まれ1938年から農場暮らし
エリザベス・エンライト1909年シカゴ生まれ1930年代ウィスコンシン州のおじの農場での経験から本著の構想を得る。
ということで、同年代にウィスコンシン州あたりの農場生活を経験している共通点から、同じような品評会を経験したのだろうなと思います。
調べてみたら今も続いている『カウンティフェア』というものみたいですね。
アメリカの農村の素朴なお祭りで家畜ごとに品評会が行なわれ、一等賞にはブルーリボン賞をもらえるようです。
観覧車やメリーゴーランドが設置され、手作りのクッキーやソーセージやレモネードやアイスクリームなど美味しそうな食べ物が売られているそうです。
 

ぼくがぼくであること

 投稿者:YOH  投稿日:2018年 6月26日(火)00時57分20秒
  ぼくがぼくであること/山中恒/角川文庫
昭和51年

図書館から借りたものの、なかなか読み始められないでいたのに、ふと手に取り読み始めたら、秀一の家出からの展開に引き込まれて一気に2時間ほどで読み終わってしまいました。
山中恒という作家は多作だなぁと古書店の棚を整理しながら何冊も並べていたので、多くの児童書を書いていたのは知っていましたが、読んでみたのは初めてでした。

ひき逃げ犯であり、夏代を騙そうとして偽の母親を仕立てて一計を企んでいるまるじんの正直という『悪役』は最後の最後まで浅はかなクズで、小学6年生の秀一が対決する相手としてはわかりやすい悪役だったなぁと思う一方、深刻なのは秀一の母親の存在だったと思います。

今の流行りの言葉で言うと毒親と言うのでしょうか?
自分では良かれと思ってやってきたことが子どもたちから疎まれ、どんどん思い通りにならなくなっていく。
自分の人生をおそらく「こんなはずじゃなかった」「そんなつもりじゃなかった」と、何をどう間違えたのか?全く理解出来ないままなのだろう。
子どもの成長とともに孤立していってしまう母親。

きっと特別な人じゃない。
世間にどう見られるかが心配でたまらない。
世間に良く見られたい。
どこにでもいるこんなお母さん。
私のまわりにも何人かこんな人がいた。

自分の理想通りに育てれば、我が子は思い描いた通りの素晴らしい人間になるはずと思い込んでいて、少しでも自分の理想とズレると許せないのだろう。

担任の杉村先生のほど良い距離を保った見守り方は良いなと思った。
根掘り葉掘り聞くこともせず、でも手紙のことは秀一にとって大事なことに違いないと、そっと教えてくれる。

父や兄、姉たちも、秀一がずっと思い込んでいた人間像とは違う一面がさらけ出される終盤、最期は自宅が火事で焼失というハードな展開となるも、皆いたってサバサバとしたもので、兄は「(母にとって)こりゃいい荒療治さ。いま、俺たちはみんな同じ、着た切り雀のはだか同然になって、ちっとも悲しくないなんてのはふつうじゃないよ。この家はおれたちの家じゃなくて、おふくろさんの城だったからだろうなあ」とつぶやく。
ひと夏の出来事を経て成長した秀一が兄弟の中でもっとも母親から忌み嫌われていた自分を真正面から母に認めてもらうために母に会いに行くところで この物語は終わる。

痛快な子どもの成長物語というより、支配的な母親によって見失いつつあった自分というものの存在価値を自分自身が自覚できたことで、母親の弱さを容認できるようになった ちょっとほろ苦い成長物語だなと思いました。
 

レンタル掲示板
/35