|
|
>ロコさん
お返事ありがとうございます^^
そっか、会話では「ローマ法王」でオッケーなんですね。
日本史の法皇と区別するために新語を造ったのかなとか、いろいろ想像してアタマを悩ませてましたw
「汝の敵を愛せ」は確かにハードル高すぎるとは思うんですが、
せめて他者を受け入れるとか他人の価値観を理解する努力くらいはできないんだろーかと
思うことが多々ありまして^^;
>TOTO
むう。新約聖書の神さまは、愛と赦しの神さまのはずなのにねえ。
しかし、人間は不完全な生き物だから仕方ないのかな。
理論と実践はまた別なんだろうし。
私は親兄弟の意見ばかり尊重する彼氏にげんなりして、今の彼氏との結婚は考えたくもありませんが、
(彼氏の家族とは親戚付き合いどころか顔も見たくない)
相手の親をきちんと尊重して頑張ってるんだから、TOTOは彼女のことが好きなんだと思う。
愛した分だけ愛されたいと思うのは儚い夢にすぎないんだろうし、
愛情の表現も人それぞれなわけだから、現実と折り合いつつ未来を切り開いていくしかないよね。
私は結局、好きな人と結婚する努力を放棄してしまったけど、TOTOは頑張ってください。
でも無理しない程度にね。
私の認識だと、
カトリック=教会のミサと神父さんを通して神さまに祈る
プロテスタント=聖書重視で、聖職者を通さず直接神さまに祈る
ぐらいの違いだと思ってたんだけど、TOTOの通っている教会はすごそうですな^^;
あと告解の秘跡はカトリックのみかと思ってましたが、牧師さんもお話聞いてくれるんですね。そりゃそうか。
プロテスタントは、ルター派とかカルヴァン派とかなら何となく想像がつくけど、
今はたくさん宗派があるみたいだから、教会によってカラーが全然違うんでしょうね。
しかし、読めば読むほどその牧師夫人ひどい人だよなー。
私が排他的と言ったのは、唯一絶対の神を信じる人は他人の神を受け入れられないから、
それって結局他人の価値観を認められないってことじゃないの? という一種の偏見から来てます^^;
八百万の神だろうが仏だろうが、別に気にせずどっちも祀ってた日本人には、
一神教は感覚的にそぐわないんじゃないかとも思ったり。
だから、ロコさんの言ってた、現地のしきたりや風潮を尊重しつつ、ってのは賛成です。
原理主義者には怒られそうだが、そうしないと布教なんて成り立たないだろうし。
大きくなった宗教団体が金や権力と結びつくのは、ヨーロッパ史なんかを読んでると仕方ないのかなと思うが、
清貧であって欲しいと俗人は思ってしまうよね^^;
http://isobe1973.blogspot.com/
|
|