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本当にキックバックがあるなら分りやすいけど、無いとなると本当に発言の意図が見えないですね。教会というものはいろいろな部分から成り立っていて、右手の役の人もいれば、左手の役の人もいて成り立っていると確かパウロが書いていたと思います。どの役も自分が介入しないと気がすまないというのは、ちょっと病気が治りきっていないように思います。イースターにしたってイースター・エッグを割れないようにきれいに湯でる事ができる信者さんは貴重なのですね。一つ二つ湯でるならともかく、大鍋で大量に湯でるのですから。実に様々な人々によって教会は成り立っているのです(使徒行伝のはじめの部分が、まさにそれが書かれています)。牧師夫人に見え隠れする完全主義者的な部分は、その方の病気の部分だと考えた方が良いかもしれませんね。
でも、一時はTOTOの彼女のご家族が彼らの教会で洗礼を受けないと結婚を許さないような様子に思えましたが、良く考えると時間はかかったけど、彼女のご家族がTOTOを本当の意味で信頼できる結婚相手と考えるようになってきたようですね。一方、牧師夫人のTOTOに対する先入観は困ったものですね。でも、牧師夫人よりも神様の方が強引で一度つかまったらどういう形にせよ逃げられないよ(笑。でも、場所的に新城が近いから何らかの影響をTOTOの行っている教会も受けているかもしれないですね。
これは俺の完全な自分の意見で教会でも口にする事は無いのだけれども、結局は仏教もイスラム教もキリスト教も同じ神様を信じているのだと思います。それを宗教指導者などがねじ曲げているだけで、どの宗教でも信仰の厚い人程、他の宗教を否定したり、けなしたりしない。過激な宗教指導者にも簡単には振り回されない”リボーン”はイスラム教徒になってみるとかが悪くないんじゃないかな。俺がカソリックに変った理由の大きな部分は”祈り”とか”祈るべき事があまりない”のでロザリオを使った祈りにひかれたからです。ロザリオは本当に不思議なカソリックの道具で、これで祈っていると三位一体という非常に難しい部分を感覚的に感じられます。
ですが、牧師夫人には地元の風習やしきたりなど、そういう物を受け入れる余裕がないのでしょうね。それなのに西海岸に関してはじゃがりこカムカムなのが日本のプロテスタントに多いけいこうだと思います。
聖書はマタイを系図を飛ばして目を通して、斜め読みで充分だからマタイにさっと目を通す。次はルカが良いと思います。これでキリストとされるイエス様の人生と考えが見えると思います。始めは両方とも斜め読みで充分です。そのうちに嫌と言うほど同じ場所を読む事になると思うからです。旧約は読み始めると本当に壮大な歴史絵巻だから、そのうち娯楽を含めて読む事ができると思います。あと、俺もワーシップは嫌いです(笑。
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